「雨」

by 龍牙 滋


 激しい雨音が遠くに聞こえる。  ただ静かな時よりも何かの音がしている時の方が、より静かに感じる事がある。 ちょうど今がそんな時なのだろう。  明け方まであと数刻だろうか?  男は、入り口を覆う蔦を越えて聞こえる雨音を聴きながら、ぼんやりと考えてい た。少し離れた所にあるたき火が、己と壁に映る二人の、男と己の体に身をあずけ る女の影を揺らめかせながら明るさをもたらしている。  先程まで喘ぎ声をあげ悶えていたのが嘘のように、静かな寝息をたてて眠る女の 温もりを感じながら、男は女と出会ったつい先日の出来事を思い出していた。  かなり大きい森だった。  近道と称し街道を外れたのが2日前。ものの見事に道に迷いながら、森を当ても 無くさまよっていた。  いや当ても無くと言うのは間違いか。向かうべき目的地はある。仮の目的地では あるが・・・。  地図を睨み、日と星をたよりに方角だけで目的地に向かう。  その時、ふと私の耳に届いた喧騒。  少し離れていたがそれほど時間は掛からなかった。すぐに森が開ける。  私は音を立てぬように近づき、相手に気づかれぬよう木陰からそっと覗いた。  森を横切っているのであろう街道に、10人程の野盗らしき者たちがたむろして いる。その周りには切り捨てられた数人の巡礼らしき死体。  だが、もしそれだけだったなら・・・ 「私は、やり過ごした」  ポツリと呟いてから、自分が口に出していた事に気づき、そっと女の寝顔をうか がい見る。  よく眠っている。  どうやら今の一言は、聞いてはいなかったようだ。  「娘」と言った方が良いのかもしれないほど若く見える女だ。  腰まである黒髪をゆるく編んでいる。  あの時、野盗共に地に組み伏せられていた女。  他の者は全て殺されていた。  この後、自分がどのような目に合うか想像できたであろうに、一声もあげず自分 を組み伏せている野盗共を大きな黒い瞳で睨み付けていた。  その瞳の放つ強い意志の輝きに、私は魅せられたのかもしれない・・・。  ふと気がついた時、私は愛刀を引き抜きその場に躍り出ていた。   雨は、まだ降っている・・・  私が居るとは思わなかったのだろう。野盗達は、女を押さえつけてる奴までも武 器を構え私の方に向かってくる。  もっとも、たいした腕では無い。襲い掛かってくる連中を見ながら、私は抜いた 剣を一合もせずに避けきり展開に付いていけずにキョトンとして座り込んでいる女 を抱え上げると、慌てて追ってくる連中をしりめに向かいの森に駆け込んだ。  どうやら奴等はこの森を熟知しているわけでは無いらしい。最近ここら辺りに流 れて来たのだろう。追いかけてはきたが、森とその時降り始めた雨とに阻まれて、 私たちに追いつく事は無かった。  だんだんと雨脚の強くなる中を暫く走った頃、唐突に森が開け目の前を蔦に覆わ れた岩山が塞いだ。岩山と言うよりは絶壁と言った方が近いだろうか。かなりの幅 があるのだろうが、雨が邪魔して端が見えない。  ふと違和感があった。何故かはわからないが、ただなんとなく蔦に覆われた絶壁 の一部分が他の場所と違うような感じがした。  そして、その厚く蔓草に覆われた壁面に洞を見つけたのだ。  中に入った所でようやく女を降ろす。だが一息つく前にやる事があった。  背負っていた荷物を降ろす。どうやら中までは濡れなかったようだ。私は手早く 火を起こしてから濡れた服を脱ぎ、女にも服を脱ぐように促す。夏ならまだしも、 こんな季節に濡れた服を着ていれば、想像以上に体力を消耗する。  もしも女が嫌がったならば、無理にでも脱がすつもりだったが、不思議と嫌がる とは思わなかった。事実、女は少し躊躇したものの素直に服を脱いだ。  荷物の中から濡れていない毛布を取り出し女に放ってやってから、裸のまま焚き 火の前に腰をおろす。毛布を受け取った女は立ち尽くしたまま暫らく私の方を見て いた。   雨は、まだ降っている・・・ 「・・・ありがとうございました」  やっと体が温まってきたころ、私の向かいで毛布に包まったまま腰を掛けていた 女が鈴の音のような声で沈黙をやぶった。 「礼を言われる筋合いは無い」 「え?」  不思議そうな顔で私を見つめる。 「私は君を見捨てるつもりだったからな」  長いような一瞬の沈黙。そして、雨と焚き火の音だけが場を支配する。 「・・・なら、なぜ私を助けたのですか?」 「気まぐれだ」  そう言ってから少し先程より長い沈黙。そして、 「やはり礼を言います」  予想外の答え。 「結果的に助けて頂いた事にはかわりありません」  私は、内なる困惑を隠しとうした。   雨は、まだ降っている・・・ 「・・・この様子だと、暫らくやみそうに無いな」  ピクリと女の肩がゆれる。 「・・・どうするのですか?」 「寝る」  女に答えてやると、その場に横になり目を閉じる。私の返事をどう取ったのかは 知らないが、しばし沈黙が辺りを包む。  ふと温もりが横たえた体を包み込む。はっとして飛び起きるといつのまにか女が 目の前まで来ていた。 「おいっ!」 「毛布、これしかないのでしょう?」  こんどは、さすがに困惑をかくせなかった。  あの時と同じ輝きを持つ瞳が私をたじろがせる。 「私は男だぞ!」  焦りとともに語気も荒く言い放つ。  女は私を見つめる瞳に微かな笑いを浮かべる。 「私は女です」  雨と焚き火の音だけが、辺りにこだまする。  何を言っているかはわかっていたが、返答に窮した。 「・・・一夜の・・・夢か」  女の瞳の中に私を見る。 「・・・あなたがそう望むのなら」  私は、艶やかな笑みを浮かべ答えた女を衝動的にを引き寄せるとその唇を奪った。   雨は、まだ降っている・・・  あれからどれぐらい過ぎたのだろう。少し外が明るくなった気がする。そろそろ 雨がやむのかもしれない。  衝動に任せて抱いた女の寝顔を見ながら、そんなことを考える。  眠っている女からは、あの時の艶やかさはみじんも感じられない。・・ころころ と雰囲気の変る女だ。 「・・・馬鹿な女だ」  そっと声をかける。 「私はそう思っていませんけど?」  声が返って来るとは思わなかったので狼狽する私を見て、女が楽しそうに笑った。  憮然として女を見ると、甘えるように擦り寄ってきた。 「馬鹿だよ」 「そういう事にしておきます」  怒るに怒れなくなって呟いた一言を自分から認めると小さな欠伸をして私に擦り 寄ったまま、また眠ってしまった。   ・・・雨音が途絶えた。  乾いた服を着て外に出てみると、雲ひとつ無い蒼空が広がっていた。朝露が朝日 を浴びて美しく輝く。 「あっ・・・え〜と・・・」  振り返ると着替え終わった・・・ 「そういえばまだ、お互いに名前を知らなかったな」  私は、苦笑しながらそう言う。 「私は、シガラ。各地を放浪している風来だ」  シガラ。  そう女の唇がまるで自らの脳裏に刻むかのように呟く。 「・・・私は星王ルーシラ様につかえる神祇官で、シュレーンと申します」  シュレーン。  ・・・不思議な響きのする名だ。 「シュレーン。ここから南に向かって森を抜けると小さな町がある。そこまでは、 送ろう」  空気が凍り付く。 「・・・・・・・・・・・・・・・・・わかりました」  少しの沈黙の後、顔を俯けながら声をしぼりだすように答える。 「その後は、どこへ行きたい?」 「え?」  幼い娘のように、キョトンとした顔をして黒い瞳が私を見つめる。 「どうやら、一夜の夢にしては現実味が強すぎてね」 「・・・・・」 「もっとも貴方しだいだが」 「・・・・ばか」  シュレーンの喉から漏れたのは、罵倒の言葉。だがそれは溢れんばかりの愛情の こもった、甘い罵り。  そっと抱き寄せるとシュレーンは胸にしがみついて泣き崩れた。 「落ち着いたかね」 「はい」  シュレーンは涙を拭くと立ち上がった。 「ごめんなさい、もう大丈夫です。」  そう言いながらあどけない笑顔を向ける。 「そろそろ出発しないと・・・」 「そうだな」 私は荷物を肩に背負うと、シュレーンと共に南へ歩き出した。 「・・・・ねえ」  半日で何事もなく森を抜け町が見はじめた頃、シュレーンが自分の腹に手をあて て私に話かけた。 「ん?」 「もし子供ができていたら、名前なんにします?」  ・・・気が早い。一瞬なんの話かと思った・・・。 「そうだな。息子の場合は決まっているが、娘の場合はどうするかな」  シュレーンの言葉に苦笑しながらも、まじめに答える。 「え? なんとつけるんですか?」  聞いたものの、決まってるとは思ってなかったのだろう。少し驚いた顔で 尋ねるシュレーンに、祖父から父がもらい父から私がもらった名を口にする。  シガラ と。