風変わりRPG論 −RPGの誤解−

by 龍童真君





「テーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム(以後TRPGと略す)」

 あなたは、この言葉を聞いた事があるだろうか?
 私の予想では、聞いた事ぐらいはある人もいるだろうが、たいていの人は知らないと思う。ただ、「ロールプレイングゲーム」と言う言葉であれば聞いた事があるものは多いだろう。
 「家庭用コンピュータゲーム機(以後ゲーム機と略す)」が広く普及したがゆえに「ロール・プレイング・ゲーム(以後RPGと略す)」と言う言葉は、広く知られる事になった。
 ただ、日本固有の変わった広がりかたをしてしまったようだ。真似であったがゆえの弊害が出てしまっているのだ。昨今はかなりましになったものの、一時期のRPGはまったく本質を掴んでいない酷いものが多かったのはこの弊害のせいだと思われる。

 言葉から考えてみよう。まず「ロールプレイ」だが、これは「(役を)演ずる事」と言う意味がある。自ら物語の中の主人公となって物語を演じて行くわけだ。ある意味、別の人物になると言ってもいい。RPGの本質とはこの一点に、全て含まれる。
 そして、実はRPGを聞いた事がない人々でも、RPGを遊んだ事がある人は驚くほど多いのだ。両親や、おじいちゃんやおばあちゃん等に会った時に聞いてみるといい。まず間違いなく、その世代は子供の頃にRPGを遊んでいる。なにせ、日本には古くから日本独自のRPGが一般に広がっていたのだ。
 きっと「聞いた事がない」と言う人は居ないと思う。それは、「ちゃんばら」「ままごと」と呼ばれる遊びである。
 子供達が、大人をロールプレイするもっとも基本的な遊びだ。
 ところが困った事に、「ゲーム機」が日本に入ってきた時に、ほとんどの人がその事に気がつかなかったのだ。それゆえに普及したのだとも言えるが、子供の頃の遊びに大人が、はまってしまった事にはかわりないのだから、苦笑ものである。いい年をした大人が、こぞって「おにごっこ」や「かくれんぼ」と同レベルの物に、金をつぎ込むようになったのだ。

 さて、ここで疑問に思える事が一つある。「おままごと」から「ゲーム機」への過程である。
 言わせてもらうが、「ままごと」を見ていて「ゲーム機」が思い付ける人がいたとしたら、その人には悪いがはっきり言って変人である。別の言い方をすれば天才とも言えるが、しっかりと常人とは区別したい。

 念の為に断っておくが、別に開発者をけなしているわけでも侮辱しているわけでもない。世界初のゲーム機が作られたアメリカには、この2つの間に位置するゲームが存在していた事を指摘したいのだ。
 すなわち、これが日本ではあまり普及しなかった「TRPG」である。

 TRPGはある意味、難しい遊びである事を述べておく。ただ、忘れないで欲しいのは、「昨今の日本人には」と言う限定が付くと言う事だ。
 所詮遊びである。難しい遊びから、安易な遊びに切り替えるのは簡単だ。ただ、安易な遊びになれてしまった人が、難しい遊びを始める事は、心情的にあまりない。
 今の日本人の場合は後者で、ゲーム機と言う世にも安易な遊びを手に入れてしまったがゆえに、今更TRPGにも手を出そうと言う人は少ないのである。
 なにせTRPGには、「会話」「コミニュケイション」「マナー」と言う非常に難しい3要素が存在するからだ。
 子供の頃、近所の子供達と多人数であそんだ時に、小さい子にはおまけをしてあげた覚えがないだろうか? いつも鬼をやりつづける事にならなにようにした救済ルールを導入したことは?
 相手を思いやる事は、簡単であたりまえな事でありながらも、実は自然に出来る人は少ないのだ。でも皆であそぶ。それは一人で遊ぶより楽しいからだ。
 そこに一人で遊んでも、楽しい遊びが持ち込まれたならどうだろう?
 わざわざ、人の事を気にしたり、心配する必要がなく同じように楽しかったら?
 つまり、ゲーム機とは、TRPGから「一人でやる」と言うコンピュータの特性ゆえに、もっとも難しかった3要素を取り払ったものなわけだ。結局のところ、ゲーム機だけが日本に持ち込まれた時に「なぜ、その三要素が無いのか?」と言う部分は抜け落ちてしまったのが厄介だった。コンピュータゲームを一人でやるのはあたりまえ。なぜ、一人なのかについては、深く追求されなかったように思われる。唯一の追求────本当に追求したかは疑問だ────が、対戦と言う要素から二人で遊ぶ事もできた点だろう。
 日本全国にRPGと言う言葉を普及させたドラゴンクエスト。とにかくゲームのやり手の事を良く考え、非常に細かなところまで気を配りながらも、それによるゲームシステムのマイナス面をほとんど持たなかった、まさに名作と言われるコンピュータゲームだ。ただ、名作であっても1人でも長時間遊べてしまうと言う点は、直しようがなかった。「コミュニケーション」と「マナー」をきちんと教育するアメリカなどならばともかく、日本人がゲーム機を手にするには、早かった感ももない。

 ところで、ここまで読んできて、「なぜ、コンピュータRPGではなく、家庭用のゲーム全般とTRPGとを比較しているのか?」と疑問に思っている人も居るかもしれない。しかし、これには非常に簡単な理由がある。

 実は、家庭用コンピュータゲームとは、その大半が、RPGだからだ。

 「完全肯定しないまでも否定はできない」などと思いながらこれまで読んでいた人も、これには異議を唱えるかもしれない。だが、最初の所、RPGの本質をよく考えてほしい。果たして「主人公を演じていないゲーム」がどれほどあるだろうか?  演じていない代表的なゲームの大概はパズルゲームだ。だが、逆に言うと、これ以外にはたしてあるだろうか?  あらゆる現存するゲームは、コンピュータゲームになった時点で全てがRPGとなる、そう考えてもあながち間違いではない。囲碁や将棋ですらも、コンピュータゲームになった時点で、画面の中で対戦している2人のうち1人を演じている。
 唯一、パズルゲームがRPGになりえないのは、もとのパズル自体がゲームとは異なるジャンルのものだからだ。あれは、コンピュータパズルであり、細かく別ければ、コンピュータゲームでは無いとも言える。ただし、パズルを解く主人公を設定してるものに関しては例外的にRPGと言える。
 実際には、最もRPGの名を関するに、値するものが『アドベンチャーゲーム』である事は、TRPGの経験者であれば納得するだろう。更に極論を言えば、コンピュータゲームの全てが、RPGと言う大きなジャンルだと言っても過言では無い。
 これらは、日本人が、言葉の本質を捉えずに、外来語を持て囃した結果である。別にその事を責める気はもうとう無いが、世界から笑われるような事をやっていると言う自覚は欲しい。誤った価値観ほど、無意味な事はない。

 話を戻すが、今更ゲームを止めろと言っているわけではない。ただ、ゲームの本質を理解する為に、TRGPと言うジャンルを一度遊んでみて欲しいと思うだけだ。遊んでみれば、頭で理解するのではなく、身体が勝手に理解してくれる事だろう。
 その事が貴方のマイナスになる事はない。TVゲームの新たなる一面を味わえるようになるだけではなく、社会勉強にもなる事だろう。なにせ、学校での面接の研修や、会社での新人研修、精神病患者のリハビリにも、TRPGは使われているのだから。