〜Specials〜

by 龍童真君



 西暦2037年。21世紀になったころの大騒ぎもはるか昔のことなり、目に見えるところでは、大して進歩もしていない時代。
 いくつか変わった事といえば、1999年にまで溯る超常現象の増加。刑法、銃刀法の改正による治安の悪化。そして、家庭内暴力の加害者が再び親の側になりはじめた事。かつて、世紀のはじめ頃に親を恐れさせた子供たちは、次々に親となりその力の向け先を、親から自らの子供に向け始めた。
 治安の悪化と重なり、裁判にまで持ち込まれる多量の些細な事件。その中でも親と子の権利と義務が絡む骨肉の争いは増加の一途をたどり、司法の崩壊も近いと噂されるにあたり、ついに政府はそれらの争いを短時間で終結させる為に、『親試法』と言う法律を世界に先駆けて施行すると言う愚挙を犯した。
 裁判において、親の義務と子供の権利のどちらを優先すべきとも言えず、なおかつ子が義務教育課程を修了していた場合、親の出す試練を子が超えられるか否かだけで判断すると言う一風変ったこの法律は、世界中の賛否両論を受けながらもついに先月、正式に施行となった。
 それから約一月。
 現在、政府の目論見は外れ現在の所この法が使用されたことは一度もない。なぁなぁ主義の日本人には、即断されてしまうこの制度は向かなかったのだろうとの意見も出ているが、本当の所はわかっていない。


*   *   *


 息も凍るような夜空の下、息を荒げながら走る二人。一人は男、一人は女。
 男は、濃灰色のスラックスに黒のTシャツ。そして黒いレザージャケットっと、黒系一色で統一されている。当然ながら右肩に引っ掛けたナップザックも同色系で、故意に暗闇に溶け込もうとしているかのようだ。
 対して女の衣装は、蛍光色でこそないものの、かなり色彩豊かだ。下にはぴったりとした黒のレオタードをつけているようだが、スカイブルーのショートパンツに白いパレオを腰に巻きつけており、上は下と同じ色のジージャン。長い髪は赤を主体にしたバンダナで高めにまとめ、そこから三つ編みにして背中に流している。
 エンジン音が遠ざかり、追ってくる様子が無いのを確認すると、男は足を緩め息を整える。女の方は、壁によりかかって荒い息をついている。
「大丈夫か?」
 男は、ナップザックから取り出したスポーツドリンクを差し出しながら、女の顔をのぞきこむ。
 女は、そんな男の様子にも気づかず。500mlのペットボトルを口に当てる。
「・・・大丈夫」
 女が答えたのは、ペットボトルが三分の一ほどなく無くなったところでだ。だいぶ息も落ち着いてきている。
「なら場所を移ろう。一ヶ所に留まると囲まれる危険がある」
「・・・うん」
 女はもう一口喉を潤してから、ペットボトルを男に返す。男は受け取ったスポーツドリンクで一口だけ喉を潤すと、ペットボトルを閉まった。女は、そのわずかな時間を使って、ゆっくりと深呼吸をする。
「いこ」
 女は息が静まったのを確かめると、回るように一度男を振り返ってから、自ら先頭に立って歩き出した。男も頷くと、その後に続いた。



*   *   *


 ゴッ
 鈍い音と共にスーツ姿の人影が、殴り飛ばされソファーに沈む。
「ぐ・・・ま、雅臣・・・貴様、兄に向って!」
 雅昭は、口の端にたれた血をスーツの袖で擦り、射るような視線をむける。
「もう一度言ったら、そんな減らず口すら叩けなくなりますよ」
 雅臣は、殴り飛ばした拳を向けながら、感情が不自然に篭もった瞳で、義兄を見下ろした。
 ソファーの上座に腰をかけていた男は、無言で二人の様子を暫く眺めていたが、それ以上の進展がないと見て、ようやく口を開く。
「女の為に家を捨てるつもりか?」
 声には力がある。が、雅臣にはその力も影響を及ぼさない。
「必要があるならば、そうします」
 父である壮年の男の問いにも、雅臣は躊躇なく言い放つ。
 部屋の中に、重い雰囲気が立ち込める。天井の高さも、ゆったりとした造りも、高価な装飾類もその雰囲気を打ち消す役には立たない。
 ふらふらと雅昭が立ち上がるのと同じくして、勢いよく扉が開き、屈強な数人のガードマンが飛び込んできた。


*   *   *


「許さん!」
 荘厳な部屋を飾り立てる装飾、如何程の価値があるか想像もつかない巨大なシャンデリア。十人程が掛けられる巨大なデスクの上には、料理が並べられており、部屋の隅には給仕をする者が控えている。
 そんな中、上座に腰掛ける壮年の男は、娘の言葉を一言で却下する。
「お父様。まだ、話の途中ですわ」
 すでに食事を終えた春奈の前には、紅茶と小さなケーキが置かれている。
「私が知らんとでも思っているのか? 東條のような成り上がりの、それもよりにもよって悪い噂にはことかかない末弟となど」
「噂に惑わされない、真実を見通す目を持てとおっしゃったのは、お父様です。本人に会いもせずに、そんな事を仰られるなんて、お父様らしくありません」
 言葉に詰まったのか、暫し沈黙が包む。
「春奈。父上も、何のわけもなしに言っているわけでは無いのだよ。東條家のものでさえなければ、こんな強行な態度を取られる方ではないよ」
 二人の様子に、その場にいた長男の夏実が口を挟む。
「夏実!」
「説明を省かれては、春奈だって納得しないでしょう。きちんと説明すべきです」
 その場に居た四人の視線が、四条家の主である隆正に集まる。隆正は家族の視線にも黙秘を続けていたが、暫くして諦めたように口を開く。
「東條グループ内にある極秘プロジェクトが動いている。わかっているのは何の為のプロジェクトであるかだけで詳細はわかっておらん」
「極秘プロジェクトですか? それが春奈と関わりがあるのですか?」
 ようやく食事を終えた、長女の秋子も、話に加わってくる。
「四条家を叩き潰す為のプロジェクトだ」
 沈黙が支配する中、すでに知っていた夏実だけが、優雅に紅茶を口元に運ぶ。
「東條とは、確かに幾つもの部門が競いあってきたが、これほど真っ向から挑まれるとは思ってもみなかったよ。
 これが反対する理由だ。納得したら、その男の事は諦めなさい」
 娘を案ずる父親の顔で、隆正が春奈を諭す。
「・・・イヤ・・・」
 暫くうつむいていた、春奈が呟く。
「・・・よく聞こえなかった。今なんと言った?」
 隆正の表情はそのままに、視線だけが力を帯びる。
「・・・イヤです。そんな理由なんかで納得なんかできない!」
「春奈!!」
 隆正の怒声が部屋中に響き渡る。
「私の言う事が聞けないと言うのか?」
 声に、あらん限りの怒りを含ませながらも、隆正は声をひそめて問う。
「聞けません。そもそも人を好きになるのを、理解や納得してどうこうできるなどと、お父様は本気で思っていらっしゃるのですか?」
 春奈の返事に、隆正は、ただ手元のベルを鳴らす。
「旦那様、御呼びでございましょうか?」
 涼やかな鈴の音に導かれるように巨大な扉が開き、執事頭が六人ほどの執事とメイドを引き連れ入ってくる。
「春奈を、自室に連れて行け。私が、許可を出すまで一歩たりとも部屋を出すな」
「お父様!?」
 隆正の命令に、春奈が勢いよく席から立ち上がる。
「口答えは許さん。少し頭を冷やしなさい」
「お嬢様、お部屋にお戻りください」
 隆正の声と前後して執事頭の声が春奈に自主的に動くように促す。そして、そのわずかな間に六人の使用人達は、春奈の周囲を囲んでしまっていた。
 春奈は、隆正を睨みつけると、きびすを返し食堂を出て行く。その後をメイドと執事が続き、最後に執事頭が一礼をして、ゆっくりと扉を閉じた。


*   *   *


「くそっ!」
 黒のスーツに身を固め、顎にガーゼを留めた姿で、雅昭は何度目かの怒声を発した。腕を組んで部屋の中をうろうろと歩まわる。
「少しはおちつけ、雅昭」
 その様子にあきれながら、同じく黒いスーツに身を固めた男がたしなめた。雅昭よりも、二十は年長であろう。貫禄と言う雰囲気をその身に纏っているような男だ。
「よく落ち着いていられますね、お父さん。あの東條家の恥さらしをこのままにしておくつもりですか!?」
 そこまで一気に口に出したところで雅昭は、父親の視線に気づいて体を強張らせる。
「落ち着け」
 その言葉が、自分を諭しているのではなく命令であることに気づいて、雅昭は、直立不動の姿勢で押し黙る。
 雅臣は、とうの昔に部屋を連れ出されており、今この場に居るのは、父親と雅昭の二人だけだ。
「こんどのプロジェクトは、四条家を叩き潰す物だ。だが、四条家が身内になってしまっては単なる骨肉の争いに過ぎない」
 東條グループ総帥、東條銀一郎は、息子から視線をはずし、独白する。
「身内の争いは、少なからず業務に影響を及ぼす。わかるな?」
「はい」
 間髪いれずの雅昭の返事に、銀一郎は頷く。
「ではおまえなら、どう動く?」
 銀一郎の問いに、僅かな間すらおかず、雅昭が応じる。
「現状では、3つほど案がございます。まず、プロジェクトの凍結が考えられます。準備にかかった費用を被害として計上しても四条家との血縁的つながりは、マイナスにはならないと思われます」
「うむ。だがその場合、同格が増えると言うことでもあるな」
 銀一郎の言葉に、雅臣も頷く。
「2つめは、プロジェクトの強行です。他社に付けこむ隙を与えず、一気に掌握します」
「可能だと思うか?」
「不可能では無いと思いますが、リスクもかなり大きくなるかと」
 雅昭は、銀一郎の問いに淡々と答える。
「3つ目は、・・・」
「どうした?」
 言いよどむ雅昭を、促すかのように銀一郎の視線が貫く。生まれたときから知っていても、このような時の視線にだけは今だになれる事ができず、雅昭は無意識のうちに唾を飲み込む。
 雅昭は、狂気とも言える信念の光を宿す視線に、ようやく口を開いた。
「3つ目は、プロジェクトに影響を与える素因を取り除けばよいかと」
 銀一郎は、息子のその答えに、満足げな笑みを浮かべた。


*   *   *


「春奈、入るわよ」
 秋子の声に、それまで聞こえていた美しい歌声が止む。
 しばらくして木製の扉が、音も無く開いた。
「・・・どうぞ」
 秋子は、春奈の招きに、部屋の中へ足を踏み入れる。扉は秋子が中に入ると自動的に閉まった。
「・・・よくこれだけ散らかしたわね」
 足の踏み場も無いほど、様々な物が散らばった部屋の中を見て、秋子は軽くため息を吐く。
「さっきまでの歌声は、カモフラージュってわけ?」
 この状態を創り出した張本人はと秋子が見回すと、春奈は、ベットの上に座り込んで、困ったような表情を浮かべている。
「どうせまた逃げ出す準備でもしてたんでしょう」
「・・・わかる?」
 秋子の言葉に、ちらりと舌をだして見せる。
「まったく、真っ向からお父様とやりあったら、力以外では負けるのぐらいわかってるでしょうに」
 秋子は、なんとか散らばっている物を踏まないように手近な椅子に向かい歩いていく。椅子にも様々な物が乗っていたが、秋子がたどり着くまでに、周囲に落ちる。
「姉さま、一応場所把握してるんだから動かさないでよ」
 秋子は、そんな春奈の声を無視して椅子に腰掛けた。
「それで、そんなに好きなの?」
 それまでの軽口とは、口調を替えて秋子が尋ねる。
「・・・わからない」
 春奈は、その問いには答えずに、準備を続けていたが、沈黙に負けたのか暫くしてから小声で答える。
「質問が悪かったか。なら、家族を捨ててでも、その人と一緒に居たい?」
 こんどは、春奈の動きも止まる。
「捨てない。捨てたくない」
 先ほどより幾分強い口調で、春奈が答える。
「たとえ分かれる事になっても、絶対に私は捨てない」
 ぽたりと手元を濡らした水滴に、春奈は慌てて頬を拭う。
 そして、また荷物をまとめ始めた妹を、秋子は暖かい眼差しで見守る。
 そのまま、どれぐらい時間がったのだろう。
「一つだけ方法があるわよ」
 春奈が、大体、荷物をまとめ終わったのを見て、秋子が口を開いた。


*   *   *


 旧市街。
 治安の悪さゆえに、多くの人が離れ、それゆえに更に治安を悪化させた小世界。
 その中でも特にこの辺りを支配するのは、若者達のグループの一つ『グール』。
 部屋にいる二人はどちらも『グール』のメンバーであり、それなりに名も顔も売れている。それは『グール』に喧嘩を売る馬鹿が、まず居ないこの辺りでは、かなりの安全を手に入れている事を意味する。
 だが、今度ばかりは『グール』の力でも何の役にも立たない事を、二人は良くわかっていた。ならば、だからこそ、普段は敵とも言える勢力をあてにするしかない。
「親試法の適応は、親と子のどちらか一方が求めれば成立する。試練の内容は親が決められるが、裁判所が間に入る事により、親の決めた試練が、公正な試練になりうるかどうかは審議される。おかげで、無理難題を出される事は無いらしい。また試練期間も、長くても1ヶ月を超える事はないようだな。  そして、結果がどうなろうとも、どちらも、上告の権利を失うことになる」
 そこまで読み上げた所で雅臣は、手にした紙片から顔を上げる。光の加減で紫紺にも見える瞳に映るのは、殺風景な部屋とその視線を見返す一対の瞳の主。
「何?」
 スニーカーの紐を調整しながら、言葉をとぎらせた雅臣が何かを言いたげにしているのを感じて、春奈は、その先を促す。
 だが、意を決して口を開こうとする雅臣より早く、「やっぱり駄目」と言う、理不尽な春奈の言葉が、その質問をとどめる。
「それを言葉にしたら、あたしはもうあきらめるよ?」
 その言葉は、雅臣の質問を知っているからこその、答え。雅臣は、いつのまにか張っていた肩をおろす。緊張するのが悪いことではないが、緊張しすぎるのは良くない。春奈の理不尽な言い様も、緊張を多少ほぐすのには十分に役立ったようだ。
「すまない。もう言わないよ」
 紙片を後ろに放り、雅臣はソファーにもたれて目を閉じる。
「・・・やっぱり、事が全てうまくいったらもう一度聞いてよ」
 スニーカーの紐を締め直し終えると、春奈は雅臣の横に腰を下ろし甘えるかのように腕を絡める。
「わかったけどそれだと、今言っても同じじゃない?」
 雅臣は、微かに苦笑しながら春奈を抱き寄せ、その額に軽く口付けをした。


*   *   *


「試練の可否は、私ども判事がつけさせていただきます。まずこの決定に異を唱えない旨を制約していただきます」
 判事は、カバンから取り出した書類を二家の前に差し出す。
 国から数人の判事と警官、東條家から銀一郎と雅昭、四条家からは夏実と秋子が見届けに訪れている。
「春奈は、どこに居るのですか?」
 秋子が、困惑した様子で判事に尋ねる。
「四条春奈、東條雅臣の二名がどこに居るのかは確認しておりません。裁判所と直通の携帯端末をお貸ししているだけです。
今回の試練内容が決定した時点で、その内容、開始時間、出発点、終着点、制限時間をお知らせしています。ちょっと失礼・・・・今、出発地点に到着したそうです」
 警官からの報告を受けて、判事が現状を説明する。
「開始まであと十分か・・・」
 夏実が、腕時計を見てつぶやくが、東條家の二人は一言も発しない。
「・・・書かれましたか? はい結構です」
 判事は、文面とサインを確認して誓約書を回収する。
「試練の終了は、明日、午前5時となります。終了までの時間はどうされますか? こちらで待機されるか、明日終了後に来ていただいて結果をお知らせする形になりますが。
「一度帰って、終了までに戻ってきてもかまわないですか?」
 初めて雅昭が口を開く。
「申し訳ないのですが、18時から8時までの時間は、ここは出入りが出来ないのです。それでどちらかを選択していただく形になるのですが」
 判事も困ったような表情で雅昭にわびる。
「では私たちは、こちらで待たせていただきます」
 雅昭が振り向くと銀一郎も頷く。
「夏実。私たちもこちらで待ちましょう」
「そうしましょうか」
 秋子と夏実も待機に決める。
「わかりました、別室を用意させますので、しばらくこちらでお待ちください」
 判事達は、礼をすると、警官一人を残してその部屋から出て行く。そして、扉が閉まるのと同時に、17時を伝える鐘が鳴り響き、試練の開始を告げた。


*   *   *


「どうやらさっきの連中は、『ブラック・オウル』だったようだな」
 賑やかな繁華街の人ごみにまぎれこみ、一息ついた雅臣が呟く。
 出発点である、豊島合同庁舎内にある、法務局の出張所を出て、周囲の関係上、手出しできない駅周辺までの僅かな道のりで、何も言わずに、いきなり襲い掛かってきた者達がいたのだ。
「この辺って連中の縄張りだけど、一言も無しに襲ってくる? 下手すればグループ抗争よ?」
 雅臣の呟きを耳ざとく聴きつけた春奈が、道端で買ったのクレープを食べながら尋ねる。
 雅臣は、返事をせずに大通りへ向かう。
「・・・電車と車が使えないんだっけ?」
 答えがないのを気にもせず、春奈は次の疑問を投げかける。
「車は使える。バスやタクシーが駄目なだけだ」
 雅臣は、人ごみに流されそうになる春奈を抱き寄せる。
「運転手付きは駄目だって事だな。人の助けを受けている事になるから」
「変なの。人の助けなしで生きてる人なんて居ないのに」
 春奈は、食べ終わったクレープの包み紙を丸めながら、雅臣の言葉に笑う。つられて雅臣も相互を崩すが、すぐに顔を引き締める。
 辺りは、かなり人の数が減り、開いている店舗も、まばらになり始めている。
「東條がからんでるんだ」
 周囲を警戒しながら、洩らした雅臣の言葉の意味を計りかねて、春奈は雅臣の顔を見上げる。
「『ブラック・オウル』だよ。以前この辺りの土地を買いあさるのに、グループを利用したって話を、耳にした事がある」
 春奈は、ようやく先ほどの問いの答えであると気づく。人の姿は更に少なくなり更に先には一軒の店も開いていない。照らすのは瞬く街灯だけだ。
「走るぞ!」
 春奈を擁いた手を離すと、手を引いて走り出す。それと共に、エンジンの吹き上がる音が沈黙を引き裂いた。


*   *   *


 二人を乗せたバイクは254をお茶の水方面へ下って行く。何度目かの襲撃の折、『ブラック・オウル』の構成員を蹴り落として奪ったものだが、その時に一度横転しているにも関わらず、今の所、十二分に走ってくれている。豊島区を抜けた所で追っ手も追跡を諦めた。連絡も無く他のグループのシマに入れば抗争になりかねない。
「ねぇ今どこらへん!」
 風に負けまいと、春奈が声を張り上げる。
「さっき本郷三丁目を超えた。もうすぐ御茶ノ水だ!」
 雅臣も負けずに怒鳴り返す。
 その時、何の前触れもなく、突如前輪が弾けとんだ。  二人が、勢い良く車道に投げ出されるのと、制動を失ったバイクが転倒するのは、ほとんど同時。咄嗟に、雅臣が春奈を引き寄せ自分が外側になるように抱きしめる。
 さすがに、受身をとっても殺しきれぬような衝撃ではなく、雅臣は春奈を抱きしめたまま、転がって衝撃を受け流す。ようやく回転が止まった時に、横転したバイクは、ガードレールに回転しながら突っ込み、爆音と共に、煌々と闇夜を照らし出す。
「・・・大丈夫か?」
 雅臣はなんとか身体を起こすと、春奈に問い掛ける。雅臣自身、身体の節々が痛むが、そんなことは微塵も見せない。
「だ・・・大丈夫・・・ちょっと驚いただけ・・・」
 春奈は、身体を起こして軽く首をふる。雅臣の目から見ても、外傷らしき物は見当たらない。
 雅臣は、ようやく息を吐いた。
 周囲にはまだ人影は見えないのは、この辺りがオフィス外で人は住んでいないからだ。だが、これだけの騒ぎになれば直に集まってくるだろう。
 雅臣は、痛む身体を叱咤して立ち上がる。どうやら打ち身程度ですんでいるようなのを確認して、自分の幸運に感謝する。
「人が来る前に、できるだけここを離れよう。職務質問なんかされたら、時間に間に合わなくなる」
 座り込んでいる春奈に、手を貸し立ち上がらせる。
 春奈は、ざっと自分の身体を動かしてみて、怪我が無いのを確認すると、雅臣に向って頷く。
 そして、遠くから消防車のサイレンの音が響くなか、二人は、御茶ノ水方面へ歩き出した。


*   *   *


『γより凾ヨ。作戦失敗。目標は、徒歩にてOへ進行中』
「剽ケ解」
 短く答えた男は、携帯電話をスーツの懐にしまう。
「しぶといな。どうやら我らの手でやらねばならんようだ」
 電気も止められている廃ビルの一室。こんな、暗闇の中でもつけたままのサングラスが異様ではあるが、それを見て笑える者はいないだろう。男の持つ雰囲気がそれをさせない。
「これで決めるぞ、準備は終わっているだろうな」
「はい。いつでもいけます」
 男の側に立つ、人影が答える。こちらの男は真っ黒なツナギを着ている。
「では、狩りに行こう」
 男は、微かに笑い、部屋の出口へと歩き出す。


*   *   *


 御茶ノ水駅を越えて、坂を降りて行くまでの間は、そこそこに明るい町並みも、坂を下り終えるとすぐに闇の世界になる。かっては学生街とよぼれていたこの周辺も、旧市街の一角と化し今では、僅かに残った街灯が瞬きながら道を照らすだけだ。
 その暗闇の中に潜む悪意に、気づかなかったのは、痛みで集中力が薄れていたせいか。
「動くなよ」
 唐突に、声が掛けられた。
 あわてて振り向こうとした瞬間、気の抜けた音と共に、右足を灼熱感が襲う。弾は貫通したようだがそれでも銃で撃たれる経験などあるわけもなし、雅臣は、その場に膝を突いた。
「雅臣!」
 とっさに春奈が駆け寄ろうとするが、それは首に巻きつけられた太い腕が邪魔をする。
「お嬢様、お静かにお願いします。手荒な事は避けるように言いつかっておりますが、あまり聞き分けがありませんと、それ相応の対処をしざるおえなくなります」
 黒ずくめの服を着た男は、春奈腕を後ろ手に捻る。
「ぅ!」
 春奈のうめき声に、雅臣が慌てて顔をあげる。
「東條雅臣君。君が、お嬢様をたぶらかさなければこんな無粋な事にはならなかったのだよ」
 黒ずくめの男の後ろから、スーツに身を固めたの男が進み出る。その左手にへ、種類まではわからないが、サイレンサ付きの銃であろう。そして、こんな夜中でありながら、サングラスをかけている。
「お嬢様。お父上はたいそうお怒りです。一度だけチャンスを与え、それでもこの男の事を忘れられないのであれば、二度と終えぬように忘れさせてあげろと、言い遣っております」
「うそ! お父様がそんな事言うはずない!」
 男の言葉に、春奈が叫ぶ。
「お嬢様、最後のチャンスです」
 サングラスをかけた男は、春奈の言葉を無視して、銃口を雅臣に向ける。
「あの男の事は忘れ、家にお戻りください。そうすれば、全て丸く収まるのです」
 口元だけに笑みを浮かべ、男は、春奈の顎に手をかける。
「・・・ダークアイか。親父の奴、会社のもんを私用で使いやがって」
 雅臣の呟きに、男の動きが止まり、雅臣に視線を向ける。
 プシュ
「が・・」
 雅臣の右肩が弾け、血が飛び出す。
 男の向けた銃口から、一筋の煙が立ち上る。
「止めて! 雅臣が死んじゃう!」
 春奈の叫びを男は、またも無視する。
「余計な事を知ってますね。あなたとの面識は無かった思ったのですが?」
 雅臣の足元で、床が、徐々にではあるが、赤くそまっていくのを見ながら、ダークアイと呼ばれた男は、雅臣に銃を向けたまま問う。
「・・兄貴に、昔聞いた事がある。東條に裏の部署がある・・とね。闇の目に導かれ、会社の為になる、全てを行う。・・たしか企画0課・・」
 そこまで口にした所で、今度は左肩が弾け、雅臣の両腕は力無く垂れ下がる。春奈は、声にならない叫びを上げ、もがくが、黒づくめの男が押さえつける。
「うっかりしておりました。たとえ出来そこないでも、貴方は、あの方の息子なのでしたね。まったく・・これでお嬢さんも消さなくてはならなくなった・・」
「・・なんだと・・」
 男は楽しそうに相互を崩すと、雅臣から斜線を外す。
「当然でしょう? 知ってしまったものは、しょうがない。忘れさせる事は今の技術でも難しいですからね。それならば、誰にも伝えられなくすれば言いわけで・・そもそも貴方の責任ですよ。ほいほいと会社の秘密を聞かせてしまうんですから」
 男は、気が高ぶると饒舌になるのか、雅臣に親しげに話しかける。そして、銃口を春奈へと向けた。
「・・やめろ・・春奈には、手を出すな・・」
「安心してください。貴方は、お嬢様に手を駄々される所を見ることはできませんから」
 銃口が再び、雅臣に向けられる。
「そろそろ、終りにしましょう」
 男が笑いながら引き金に力を込めるが、雅臣は最後の力を振るって、咄嗟に倒れこむ。が、更に右肩に一発喰らって、弾き飛ばされる。男が顔をしかめる。
「醜い。たかが5秒かそこら命を伸ばす為にそこまであがき」

  まいあがれこの願い厚い雲もつきぬけて

 唐突に美しい歌声が男の言葉を遮った。春奈の喉から、ソプラノによる美しい旋律が響きわたり、と同時に、春奈が爆発したかのように膨れ上がり男や黒ずくめ達を弾き飛ばす。いや、良く見れば春奈自体が膨らんだわけではない。薄く輝く球の中心に春奈は変らぬ姿で浮かんでいる。

  光の翼持て自由に飛んでいけ

「ちょ、超常者・・それも『聖域化』だと!? こ、こんな小娘が異魂紡手(シンガー)だと言うのか!!」
 その言葉が終わるより早く、春奈の姿が変化する。


  果てしない空を

 欠損部分を聖域が補完するかのように、髪が金に変わりながら、一瞬で腰下まで伸びる。服は今までの動きやすいラフな物からゆったりとした純白の羽衣へと変り、その背に4枚の翼が羽ばたく。そして眼もくらむほどの白とも金ともつかぬ光を発する輪が頭上にあらわれた。

  囀りながら飛ぶ小鳥の影に

 男の言葉が終わった時、そこに居るのは淡い光の球に包まれ歌いつづける一人の天使。

  ふと手をのばしてみる

 異魂紡手(シンガー)。1999年以降現れ始めた超常者の一形態で、重なる世界の存在を歌で紡ぎあげ、僅かな時間ではあるが同化し、その力を我が物とする。結界、癒しなど、非攻撃的な能力を発揮する聖魂紡手(ハーモニスト)、攻撃的な能力のみを発現させる魔魂紡手(ロッカー)。そのどちらかにしかなれない。ある意味で最強の力とも言えるだろう。侵食されないのであれば・・・。

  風に揺らされる草花を見つけ

 惚けている男達を一瞥すると天使と化した春奈は、輝白の羽が動き一羽ばたきで倒れふす雅臣に近ずく。淡く光る球は、雅臣をその内に招き入れ、春奈は、雅臣を抱き起こす。

  ふと観察してみる

 雅臣を抱きしめるその動きには慈しみが込められ、全てを抱擁しうる優しさが感じられる。

  ただ元気であることそれだけでいい

「は・・なんだ、お前もだったのか・・」

  太陽の光浴び


  風に吹かれ

 春奈と瓜二つの天使の姿に、雅臣は力無く笑う。血にまみれた手で歌いつづける天使を抱きしめる。

  ただ喜びがあることそれだけでいい

「春奈、下がっててくれ。すぐに終わらせるから」
 その言葉に、春奈は少し躊躇したが、そのまま手を解き雅臣の後ろに下がる。

  人々のささやかな願い集め

 その一瞬の抱擁だけで、雅臣の全ての傷が癒されていた。道路に投げ出された時におっていた肋骨も、銃弾に打ち抜かれた肩や足の傷も。

  笑顔があふれ

「・・・覚悟はできたか?」

  祝福の時は来る

 雅臣は、何気なく立ち上がる。もう傷の痛みはない。血にこそ染まっているが、傷は全て完治している。惚けている男達は、かけられた言葉で、ようやく今の状況を思い出したのか、慌てて雅臣に銃を向ける。

  許されないとわかっていても


  罪びとと聖者の狭間で

 今度は、雅臣の声が響き渡り、その体を淡く紫色に輝く球体が覆う。そして、漆黒の髪は腰まで伸び、服は色こそ変らぬがローブ風のゆったりとした物になる。そして、背中に生えた漆黒の翼と、ねじくれた野牛のような角が、明らかに人でない事を知らしめる。

  永遠の生を求めるのか

「ば、化物!」

  終わり無き過ちに彩られた世界に


  生きる身でありながら

 黒尽くめの一人が、叫びきびすを返すと同時に、他の者も次々と後に続く。

  いつか必ず全てを


  壊さずには居られなくなる

 プシュ  プシュ

  生きる身でありながら

 続けざまにサイレンサに篭もった銃声が響く。

  いつか必ず全てを


  壊さずには居られなくなる

 だが、先ほどまであれほど雅臣の肉体を引き裂いた銃弾も、今は紫の球体を突き抜ける事はない。
  いつか世界の全てを


  滅ぼさずには居られなくなるのに

  その様子を、見ながら雅臣は笑みを浮かべ、立ち尽くす“闇の瞳”に視線を移す。そして震える男に侮蔑の笑みを向けると、両の腕を、“闇の目”の名を持った男へ向けて、優雅に開いた。

  失った痛みと、忘れられぬ思いの


  狭間でゆれ動きながら

 その一瞬に、地から天へと紫紺の光芒が昇った。


*   *   *


「こんな物でいいかな」
「十分十分。どうせ仮の看板なんだから」
 雅臣の問いに、春奈が気楽に答える。
 扉に下げられた、小さな看板には、ただ一言だけかかれている。

「 Specials 親試法代行承ります。」

 ここが、二人の住居兼事務所になるマンションで、荷物も大体を運び終わっている。
「でも認められるのかね代行なんて」
「認められなければ、単なる何でも屋でもいいじゃない」
 春奈が、雅臣の背中に抱きついて、耳元に呟く。
「それもそうか」
 雅臣も、それに同意すると、背中に春奈をぶら下げたまま、扉を開け中に入る。
「そう、一ついい忘れてた」
 春奈が降りるのを見計らって、雅臣が向き直る。そしてきょとんとしている春奈を抱きしめる。
「私と一緒で、本当にいいの?」
 春奈の体が一瞬震える。
「上手くいったら、聞いてくれって言う約束だったよね」
 春奈がもぞもぞと動くのに合わせて、抱きしめた手を解く。
「ふぅ」
 強い抱擁から解放されて、春奈が息を吐く。そして、自分を見つめる雅臣に向き直る。
「次に言ったら、家に帰るからね」
 春奈は、そう答えて微笑むと、自分の唇を雅臣の唇にゆっくりと重ねた。