絵画

by 龍童真君





 ケイ氏の家から5分も歩かぬ所にそこそこ大きな公園がある。住宅街の一角に開けた緑地で、空き地は子供の遊び場になり、木陰のベンチでは子連れの母親達がおしゃべりし、池の周りを元気な老人や若者が走っていたりする、ありきたりな公園である。
 ケイ氏は、空は快晴ではないが、十分に晴れと言えるだけの青さの空で、薄く広げた綿のような雲が微風に遊ばれているような日に、この公園をふらふらと散策する事を、小さな楽しみにしていた。

 ある日。
 そんな天気のなか、ケイ氏は公園に足を向けた。公園は、いつ来ても人影はまばらだったが、稀にいつもと変った事に出会う事もある。
 ふと目についた男がいた。男はこれといって特徴の無い着古したトレーナーとジーンズに身を包み、頭には唯一の特徴になりそうな、これまた年季の入ってそうな帽子をかぶっている。
 だが、何よりも目を引くのは、膝の上に置かれた巨大なスケッチブックだ。男はそれに向かい、クレヨンらしきもので熱心に何かを描き付けていた。ケイ氏は少しだけ興味を覚えたが、男が余りに熱心に描きつづけているので、邪魔はしないでおいた。
 次の日も良い天気だった。ケイ氏が再び公園に散歩に来ると、男は同じベンチに腰をかけ、やはり熱心に描き続けていた。暫く見ていると時々顔をあげ、ベンチに座った母親達を見ている。どうやら男は公園にくる人々をモデルにデッサンでもしているようだ。
 それから何日か過ぎ、またケイ氏が公園に足を伸ばすと、男はやはり、同じ場所で同じように熱心に描き続けていた。今日の題材は子供達らしい。男はあちこちと駆け回ってる子供達を目で追いながら、熱心に手を動かしつづけていた。
 更に数日が過ぎて公園にやってくると、スケッチブックは2冊目になっていた。男は、変らずに熱心に手を動かしつづけている。ケイ氏はついに興味を抑えきれず、男に話し掛けてみた。
「こんにちわ」
「あ、こんにちわ」
 男は、驚いたように顔をあげた。
 以外と若い男だった。無精ひげのせいで遠目ではわからなかったが、だいたい大学生ぐらいだろうと推測する。
「いつも何かを描いていますね」
「いや、これぐらいしかとりえが無いものですから」
 そう言って笑う男の手元を覗き込んでみると、紙には子供のものらしい、丸みを帯びた小さな顔の輪郭が描かれていた。
 それからもケイ氏が公園に足を伸ばすと、男は必ずいつものベンチに腰をかけて、周囲の人々をモデルに描きつづけていた。
 声をかければあいさつはするが、すぐにスケッチブックに戻ってしまってそれ以上は話が弾むことはなかったが。
 日にちが過ぎるにつれ、男のスケッチブックも冊数が増えていった。そして5冊目に入って暫くして、男は公園に現れなくなった。
 ケイ氏も暫くしてそんな男の事を忘れてしまった。

 それから、半年ほどたったある日。公園で男を見かけた。ただ今日はスケッチブックはもっておらず、公園に来る人にわけ隔てなく何ごとか話し掛けている。
 近づいていくと、男がいままでと違って、こざっぱりとした服装であることに気づいた。例の巨大なスケッチブックは持っていない。その代わりに、男は何十枚かのチケットらしきものを手にしていた。
「こんにちは。今日はスケッチブックを持ってらっしゃらないんですね?」
「あ、こんにちわ。お久しぶりです。実は、やっと絵で食べていけるようになりまして」
 ケイ氏が尋ねかけると男は嬉しそうにそう言って、持っていたチケットを差し出した。
 それは個展のチケットだった。男は、個展を開けるほどになっていたらしい。ケイ氏は、礼を言ってチケットを受け取った。
「いえ、礼を言うのはこちらのほうです。ここで描いていた絵が認められたのですから」
 男の言葉にケイ氏は納得した。この男は公園に来る人々を書いていた。つまりはこれはささやかなモデル代のようなものでもあるのだろう。
 次の日、ケイ氏は個展に足を運んでみることにした。チケットに書いてある場所が、そんなに遠くなかった事もあるが、やはり自分が描かれている絵は見てみたいと思ったからだ。
 受付で署名をしていると、男の方が気がついて近寄ってきた。
「こんにちは。わざわざ見に来ていただいて、ありがとうございます」
「いえ、たまたま近くを通りがかっただけですから、お気になさらずに」
 ケイ氏は、男にそう断ってから、壁にかけられた絵画に目をやった。最初の絵は、美しい女が描かれていた。木漏れ日に手をかざしている半袖のブラウスに短めのズボンを履いて颯爽と歩いてる姿が生き生きと描かれている。2枚目は繊細な雰囲気を漂わせた美少女が描かれていた。真っ白なワンピースを着てブランコに腰掛けている姿は本当に愛らしい。次も、その次もそうだった。どれもこれも本当に美しい女性画ばかりだ。稀に男性の絵もあるが、それらも、殆どが美男の絵である。
 そうやって半数ほどまで鑑賞した所でケイ氏はついに我慢できなくて、男に尋ねかける。
「なぁ君。確かにこれらの絵は素晴らしいが、あの公園では見かけたことの無いように思えるんだが?」
 声にちょっと不満が入ってしまう。ケイ氏はどちらかといえば絵に興味が無いほうだ。公園でのスケッチが出品されていないのならば、わざわざ見にくるほどの事はなかった。これではただの道化ではないかと思う。
「いえ、ちゃんと見ていらっしゃるはずですよ」
 そして一枚の美人画を指差す。
「ほらあの絵の瞳。あれはブランコでよく遊んでいる女子高生達の一人ですよ。輪郭は、あの髪を結い上げていた母親の・・・」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 ケイ氏は、慌てて男の説明を止めた。
「つまり、貴方は、公園の人々の顔の輪郭や目鼻口などをパーツ単位で写生していたのですか?」
「そうです。そして何百と言う繰り返しの中で組み立てていったんです。こんな話をご存知ですか?」
 男は、呆然とするケイ氏に向き直って尋ねるが、答えがないのでそのまま歩きながら話をすすめる。
「なんでも人のうちもっとも美くしいと言われる顔立ちは、大勢の人々の顔をパーツ分けした平均値なんだそうです。つまり個性が無いほど美人であるということです」
 男は、ケイ氏には似てもにつかない凛々しい男性の肖像画の前で立ち止まった。
「ほら、この絵の顔の形、貴方ですよ」
 ケイ氏はよくよく眺めて見た。ケイ氏はやさしげな顔立ちで、凛々しいタイプではない。だが、その凛々しい男性と自分の顔の形が同じだと言われると、言われてみればそんな気もするもので、なんとなくその絵に親近感が沸いてくる。
「隣の絵の男性の鼻もそうです」
 そこには目に闘気を宿し、全身から生気が溢れ出しているような、逞しい巨漢の格闘家が描かれている。
 ケイ氏は、どちらかと言うと細身で、絵の男のような筋肉にあこがれた事もある。その男の一部とは言え自分と同じだと言う・・・。
「気に入りました。この大男の絵を買わせてください」
 ケイ氏は上機嫌で男に購入を申し出た。男は笑顔で礼を言うと、ケイ氏を契約をまとめる為の一角に連れていった。
 男は、ケイ氏を受付嬢に紹介すると、重ねて礼を言ってから、個展へと戻っていった。
 ケイ氏は、契約をまとめると、改めて周囲を見回してみた。
「ところで彼の絵は人気が高いのですか?」
 ケイ氏は受付嬢に尋ねた。ケイ氏の周囲でも何組もの契約が同じようにまとめられている。ケイ氏は、個展で絵を購入するのは始めてなので、よくわからないが、結構な値段のするものである。よほど人気が無ければ次々と売れていくとは思えない。
「画伯は、非常に高い人気を勝ち得ていらっしゃいますね」
 受付嬢は、書類を丁寧に封筒に片付けながら、ケイ氏に答える。
「しかし、その人気も最近得たものでしょう? 彼は、やっと絵で食べていけるようになったと言っていましたよ」
 ケイ氏は、受付嬢から権利書を受け取ると、ふと疑問に思った事を口にしてみた。その問いに受付嬢はしばらく迷ってから、「ここだけの話しですけど・・・」と前うって、小声で話し始めた。
「以前、画伯が口にしていた事なのですけど、なんでも、その人がその絵を気に入るかどうかは、その人の内面を絵に感じ取れるかなんだそうです。ですから、もっとわかりやすくその人と同じ部分を描き表わしそれを着飾らせれば、それはもっとも簡単で強力なサブリミナル効果を生むのかもしれないそうです。そしてその理論を応用すれば、個人個人にあわせて気に入ってもらえる絵を描く事は、不可能ではないと・・・」
 ケイ氏は、つい受付嬢を凝視していた事に気づいて、慌てて身をひいた。
「つまり、買っていかれる方は、あらかじめ買っていかれるだろうと予想されていたと言うことです」
「・・・・なるほど、つまり彼のスケッチは、描いた人を自分の絵の虜にしてしまうのですね」
 そう言って、ケイ氏は、なんとも表現しがたい奇妙な笑みを浮かべた。