喜びと悲しみと

by 龍童真君





 ふと気が付いたかのように少女は眼を薄く開いた。手で顔に当たる光を遮る。まだ頭の中は夢見ごこちなのだろうか、茶色い瞳を瞬かせている。いつのまにか木陰で寝てしまったかのようだが、もしかしたら、自分がどこにいるか判っていないだけなのかもしれない。
 そんな少女に、風が穏やかな語りかけるかのように、枝を揺らし飽きさせない涼やかな曲を奏で、髪をくすぐる。
 そんな風と樹につつまれて少女はようやく体を起こした。
 ショートカットにした髪の端が少し跳ね上がっているのに気づいているのか直すように少し髪を払うと、しなやかに立ち上がり体全身を使って大きく伸びをする。しなやかな体が柳のようにしなり、鮮やかな水色のワンピースから手足が飛び出ている。スカートの丈は膝よりも上だが、別に短すぎるわけではなく、むしろ少女のはつらつとした活発さを引き立てるのに一役かっていると言ってもいい。
 ゆっくりと体を伸ばしおわると、少女は、改めて周囲を見渡した。

「あたしは・・・」

 そのまま立ちつくす少女の茶色がかった髪を、風がからかうかのように揺らしていく。
 大木が立ち並ぶ森の中。いや、それほど密集して生えてるわけではないので林と呼ぶべきだろうか。その中にある20m四方程の空き地。少女はその真中に生える一本の樹の根を枕にして眠っていたようだ。

「なんでこんなところに居るんだろう?」

 澄んだ声が、少女の疑問を運んだ。だが、この場にその問いに答えられる者はいない。もしかしたら木々が木の葉のざわめきで答えているのかもしれないが、少女にはその言葉を理解する力はない。
 少女は、しばらくすると小さなため息をついてから、辺りを歩き始めた。
 最初は寝ていた樹の周り。
 一周してみると、ちょうど寝ていたところの反対側に泉が湧きだしていた。あふれ出た水は小さな流れを作って林の中に消えている。少女が、覗き込んでみると、透き通って1mぐらいの深さだと思われる底がよくみえる。その底を小さな魚が泳いでいるのを見つけると、少女はちょっと水を指につけて舐めてみる。
 まったくなんの臭みの無い水の味。
 少女にはよくわからなかったが、ただ美味しいとは思ったようだ。手ですくい上げて喉を潤す。そして寝起きで気持ちが悪かったのだろう。少女は、その泉の水を手の平ですくい、勢いよく顔を洗った。
 ポケットを探すとハンカチが入っていた。
 少女はそれで顔を拭くと、こんどは林の方へ視線を向けた。
 林の方を見ながら、空き地を一周してみる。そうして見ていくと樹の根元の泉から湧き出した水が細い流れとなって向う先だけ林の先が明るく見えるような気がする。
 少女は少し迷ったようだったが、すぐに小さな流れにそって明るく見える方へ、元気よく歩きだした。
 林の中には、先客が居た。
 最初に見つけたのは、目の前を駆け抜けて大きな樹に駆け上っていった尻尾の大きな小さな動物。一番下の枝まで登ると安心したのか、少女の方を伺っている。
 それからは、あちらこちらで動物を見かけるようになった。
 木々の間に見え隠れしている大きな動物。すらりとしていて背が高く尻尾は少女のハンカチのように真っ白で体にくらべて凄く小さい。
 水を飲んでいたのだろうが、少女の出現に慌てて逃げ出すふさふさとした大きな尻尾を持つ、茶色い動物の親子。
 樹の枝には、様々な色の鳥が止まっていて、綺麗な声でさえずっている。
 空き地で見たときは林の中は暗く見えたが、中から見てみると木漏れ日で満ち溢れ以外に明るい。風でゆれるたびに落ちてくる光が増えたり減ったりするので、なんとなく賑やかな感じを作り出している。
 少女は、最初明るい方向を目指しているつもりだったのだろうが、林の中からはよくわからない。すぐに諦めて、泉からの小さな流れに沿って歩いていくことにしたようだ。足元に張り出す樹の根に気をつけながら軽い足取りで歩いていく。
 どれくらい歩いていたのだろうか。唐突に林が途切れた。
 目の前に広がるのは、小高い丘とその上に続く真っ青な空。見ると小さな流れは、その丘の麓で小さな池のように溜まっている。
 少女は左右を見回したが、どうやらこの林はなだらかな盆地の中にあるらしく丘は林との接点まで続いている。
 少女は軽くため息を吐くと、まず小さな流れで喉を潤し、それからサンダルを脱いで足を流れに入れた。そこそこに冷たい水が、足の周囲を通り過ぎていく。目には映らずとも多少なりとも付いていた土埃を綺麗に洗い流してくれる。
 そして少女は水から上がり草原に腰を降ろした。まずハンカチで足を拭いてからサンダルに付いた埃もハンカチで拭う。
 そして満足げに笑うと、サンダルを履きなおして立ち上がった。
 こんどは足を濡らさぬようにハンカチだけ洗う。そして濡れたハンカチを軽く絞ると、手に持ったまま丘を登り始めた。
 なだらかそうに見えても、丘は丘。所々斜面が急すぎて回り道をしなければならない所があったり、思ったよりも少女の体力を浪費させていく。いつしか少女は、肩を上下させながら登っていた。濡れたハンカチは丘の中腹ぐらいで乾いてしまったのでポケットにしまってある。
 なんだか頂上がどんどん高くなるような錯覚を覚えながらも少女は丘を登り続けた。

「こんにちわ」

 最初はよくわからなかったのだろう。少女の視線はずっと足元に向いていたのでそれも仕方が無い。
 少女は何時の間にか頂上のすぐ側まで来ており、そして頂上には一人の少年が立っていた。
 少女より幾つか年上だろうかシンプルな長ズボンと半袖のシャツを身に付け、肩から布製のかばんをかけている。

「こんにちは。僕は、精路。君は?」

 少年は少女に手を差し出した。少女は何も考えずに差し出された手を取る。

「あたしは・・・・」

 そこまで口にして少女は、口篭もる。そんな少女の髪を一陣の風が吹き上げる。

「・・・沙羅紗」

 セイジと名乗った少年は、それを見てポツリと言葉を漏らす。そして少女を頂上まで引き上げた。
 丘の向こうは延々と続く平原だった。
 緑がまるで海原のごとく吹き抜ける風に合わせて波打っているのがわかる。緑の遥か向こうには、山々と森らしき線が見える。そのずっと横の方にある光の線は海だろうか。

「ここに来る仲間達は、たいていは何も覚えていない。だから最初に出会った者が呼び名をつけるんだ。僕の名もそう」

 広がる世界に視線を向けつづける少女に精路が語りかける。

「沙羅紗。そう呼んでいいかな?」
「さらさ・・・いいよ。」

 少女は音を確かめるように少年の付けた名前を口に出してみる。そして気にいったのかあっさりと頷いた。

「なら仲間たちに紹介しよう」

 精路は微笑むと、沙羅紗と手を繋いだまま空へ浮かび上がる。沙羅紗もそれがあたりまえのように続こうとする。

「沙羅紗。ティル・ナ・ノグへようこそ」

 精路の言葉と共に、沙羅紗の身体も風に乗った。







「ご臨終です」

 感情の篭もらない白衣の男の声に、扉が開き入室が許可される。
 入ってきたのは、二人の娘とその両親と思われる4人。そして部屋には、白衣の男が一人と、そしてカプセルの中に長いこと齢を重ねれきたであろう老婆が横たわっている。

「おばぁちゃん!」

 少女達がカプセルに縋り付くが、老婆はピクリともしない。ただ、幸せそうな微笑を浮かべ永久の眠りについている。

「ご尊母様の魂は、アストラルコンピュータ『ミーミル』の夢での導きにより、スターコアへたどり着きました。これからは、この星そのものとなって、あなた方を見守りつづけるでしょう」

 白衣の男は、夫婦に向かい、無感情なまま淡々と事後報告だけ行った。
 この時代、霊核時世理論により、全ての物に魂が宿ることが証明されてから、あらゆるもの魂は、この星の魂であるスターコアに送られるようになっている。それ以後、地球は見違えるように生気を取り戻し始めており、過度の公害も昔の事だ。
 人々は、死を受け入れ地球に帰るのを美徳とする社会をあたりまえのように受け入れている。

「ご遺体はどうなされますか?」
「母は、地球に帰れるのをとても楽しみにしておりました・・・その希望通りにしようと思います」
「わかりました、そのように手配致します」

 夫婦は、白衣の男に深々と頭を下げると、泣き出す娘達を宥めながら、部屋を出て行った。男がそれを確認してから手元の端末を操作すると、カプセルの中に映し出されていたホログラフが消える。実態は、魂が『ミーミル』の導きをうけた時点ですでに崩壊してしまっている。

「ふぅ」
『つかれたかね?』

 白衣の男が吐いたため息をからかうかの用に、男性とも女性ともわからない穏やかな合成音が、どこからか話かけてくる。

「それで今回はどうだったのですか?」

 白衣の男は、声だけの存在の質問には答えずに、疑問を返す。

『ティル・ナ・ノグに付いたよ』
「そうですか・・・」

 ティル・ナ・ノグ。『彼等』は、スターコアを古い神話に出てくる常若の国と同じ名で呼ぶ。白衣の男は、それまでの緊張を解いて安堵の声をもらす。だが、その表情には、安堵と共に苦悩をも見て取れた。
 一般には公開されていないが、アストラルコンピュータ『ミーミル』を使っても、スターコアにたどり着けるのは、ほんの一握りでしかない。それ以外は、たどり着く前に単なるエネルギーと化してしまう。 それを知っているのは『ミーミル』を扱う係官のみであり、それゆえに係官はあまり長く務められない。まだ生きれた人間を殺してしまっているかもしれないという良心の呵責に耐えられなくなるのだ。
 そしてもう一つの心労の原因が、たどり着いた者達の中には、時を経ていつしか過去の記憶を取り戻した者もいると言う事だ。地球の魂と同化しながら確固たる意思を持つ彼らは、その意思を持って地球をも操作する事すらできると言う。

「・・・・人の命を刈り取り、神を作りだしている。疲れない方がどうかしていると言うものですよ」

 白衣の男は、訪れる家族達には見せたこともない。本当に疲れきった表情で、『声』に答える。

『そうかね?』
「ええ、私は“ただの人間”ですから」

 白衣の男は、『ミーミル』を通して聞こえる神の笑い声に背を向け、部屋を後にした。